武道家でドラマーの親、息子は和太鼓奏者。 親は息子がその道へ行くとは思っていなかった。そんなすれ違いは当たり前

村の小さな小学校、それは私の思い込みだった 晃

山の小さな小学校。

そんな勝手なイメージを抱いた熊野行きだったが、それは無残にも打ち砕かれた。

勝手な思い込みだったという事だ。

 

その村は、当たり前だが大阪と比べたら、何もかもが30年は遅れているという感じがした。

それ自身が不思議だった。

 

というのも、テレビは大阪と同じチャンネル数だし、衛星放送も映る。色々な意味で、情報は同じだったからだ。

今でこそ、Aコープには、そこそこものが揃っているが、当時は本当に何もなかった。

だから、買い物は1時間以上かけて田辺の街まで出なければいけなかった。

 

小学校の音楽ときたら、ええっというくらいダサい。

私の幼稚園の頃と同じくらいだったのではないかと思った程だ。

 

一輝は、色々な事情があり私の母、一輝のお婆ちゃんが面倒を見ていた。

幼稚園は芸術教育に力を入れており、子供達は驚く程能力を発揮していた。

一輝は、絵が上手だったが、学校での時間が長くなる程、下手になっていった。

感覚が削がれていったという感じだ。

教育格差というものがある、ということを実感した時期だ。