武道家でドラマーの親、息子は和太鼓奏者。 親は息子がその道へ行くとは思っていなかった。そんなすれ違いは当たり前

涙を堪えるのに必死になった  晃

3年前、セントジェームスのお別れコンサートに来てくれた、パン職人とパティシェのご夫婦が、今回の”古希”コンサートを推してくれている。 :::::::::::::::: 我が師である「武道家 日野晃」先生のもしかしたら二度と見られない、【日野晃”古…

子育てではなく、大人になるから 晃

その意味では、「子育て」だとは考えていないのだ。 それよりも「人暗記や速読など、色々息子には試していった。 そこには「どうすれば、人と交わる能力を育てる事が出来るのか」ということと、社会で生きていく為には、どんな能力が育っているのが一番なの…

息子はいじめられていた 晃

「いじめ」という言葉は何時頃から使われているのだろうか。 もちろん、私が子供の頃の昭和30年代にも「弱い者いじめをしたら駄目だ」と親からも学校でも指導されてきた。 この場合の「いじめ」と、現在使われている「いじめ」はどうも違うような気がする。 …

速読術 一輝

暗記マシーンと同時期に"速読"というのをやらされました。 A5を横にした紙に、ビッシリ○印が書かれています。 それを右上から縦に下まで追って、次はその左の行を上から下まで。 これをどれだけ速く目で追うか、というやつでした。 そしてもう一つ、今度は一…

パンの耳  晃

私はパンが好きだ。 若い頃はフルーツサンドなどを好んでいた。 今はカツサンドだ。 先日、神田道場での稽古が昼からあったので、近所の肉屋さんでカツサンドを買った。 店の人から「パンの耳は食べませんか?」と聞かれた。 「えっ何で?俺がパンの耳好きな…

暗記マシーンは 晃

山の生活は何もない。 山もあるし川もあるだろう、と思われるかもしれないが、植林した山など山ではない。 杉や檜を植えた畑だ。 川までは8㎞以上あるので、当然行けない。 そんな中で、息子に何を提供できるかを日々考える。 この暗記マシーンもその一つだ…

何もかも出来なかったが… 一輝

算数もダメ、国語もダメ、多分理科も社会もダメだった気がしますが、ちょっと覚えてません。 家では、相変わらず公文やそろばん、夜は国語の時間でしたが、果たしてどうだったのか…(笑) しかし、5年生くらいに父が楽しい遊びを作ってくれました。 それは「…

ごんぎつねは 晃

国語か。 息子が読解力不足だと気付いたのは、小学4年生の頃だった。 忘れもしない「ごんぎつね」。 この本を読んで、そこに書かれてある問題を解いた。 しかも、大人総出でだ。 問題を読みようによっては、相当難しい問題だ。 それくらい曖昧な言葉が並んで…

さらに国語も出来なかった 一輝

〇〇はみた あそこから あちらへ このように 僕は国語も苦手でした。 上記の言葉など出てくると、「誰が言うているのか、何処から言うているのか」など、分からなかったんです。 国語のテストでは、上段に長い文があり下段に問いがある形式。 読んでも理解出…

まずは+1から 晃

熊野に行き、最初の壁は言葉だった。 息子は小学校で教師が話す言葉も、同級生の話す言葉も分からなかった。 そこが原因で、算数が出来ない。 もちろん、私たち大人も村の人と会うと挨拶をする。 「こんにちは」は分かるが、そこから雑談になると「????…

算数が出来なかった 一輝

小学生の頃、僕は算数が苦手でした。 というより、出来なかったんです。 ちょっと記憶が曖昧ですが、足し算は出来たのかな? でも引き算はサッパリ。 父やお弟子さんに教えられても、サッパリ分かりませんでした。 業を煮やしたのか、そこで登場したのが「公…

のんびり打ち上げをしているが 晃

一輝がアップしていた写真は、確か近所の大学の学園祭に出演し、その打ち上げを淀川の河川敷であった時だ。 テナー、ピアノ、ドラムという編成だった。 この時のトリオは、阪急沿線の茨木駅の近くにあったジャズバーでの演奏で、パトカーを出動させた事があ…

ちょっと遡ります 一輝

父が小さい時の僕の写真をアップしてたので、ちょっと探してみました。 この時の記憶が微かにあり聞いたところ、僕が3つか4つの時で、場所は淀川の河川敷。 父のコンサートの終わった後の1ショットとの事でした。 他にも父の友人?が沢山写っていて、父か誰…

和太鼓を叩いても不思議ではないかも? 晃

一輝が1歳か2歳にならない頃、サンケイホールだったか毎日ホールだったか、どこの会場だったか忘れたけど、とにかくそこで若手の舞踏家とデュオをした。 その時、試しに和太鼓を一台ドラムの横にセットして使ってみた。 会場は超満員だった。 一輝も母親に抱…

言葉が分からない 一輝

父も書いていましたが、小学校の入学式で衝撃的な事件が起きました。 言葉が分からないんです! 方言です。 本当に分からないんです。 先生の言葉も、同級生の言葉も…。 すごく覚えているのは、入学式が終わって保護者と共に教室に行き、先生が1人ずつ名前を…

村の小さな小学校、それは私の思い込みだった 晃

山の小さな小学校。 そんな勝手なイメージを抱いた熊野行きだったが、それは無残にも打ち砕かれた。 勝手な思い込みだったという事だ。 その村は、当たり前だが大阪と比べたら、何もかもが30年は遅れているという感じがした。 それ自身が不思議だった。 とい…

音楽が嫌いになった理由…その2 一輝

僕が幼少の頃通っていた幼稚園は、東大阪にある菊水音楽幼稚園というところ。 そのころは祖母の家に住んでいて、そこから祖母と一緒に通ったり友達と通っていました。 その時は当たり前ですが、何も分からず通っていましたが、今思うと大層お金がかかってい…

僕は音楽が嫌いだった 一輝

幼稚園に行っていたかいなかった時か、大阪のとあるマンションの13階に住んでいた。 父は、たまに家にいた。 で、ドラムを叩いていた。 ・・・なんかうるさい。 タオルや毛布をかけて防音対策をしていたと思うけど、それでもうるさかった。 小学校は田舎の…

ソニーの新製品の宣伝で

ひょんなところで一輝の写真を見つけた。 ソニーの新しく発売されたデジタルスチルカメラRX0(DSC-RX0)の宣伝動画を見ていた。 「えっ、今の一輝?何で一輝の写真が?」 そう言えば、一輝が和太鼓を音源にするという仕事をしたと言っていたのを思い出した。 …

熊野での第一歩は息子にとって最悪だった 晃

息子を連れて熊野の山の中の小さな村に移り住んだ。 その目的は、一つには私自身の武道の稽古場を作る為、そして一つに、息子を山の中の小さな村で育てるのが、いろいろな意味で良いと判断したからだ。 しかし、それはあくまでも私の理想としての山の中の生…

その前に崖から転落していた・晃

一輝が小学1年生の時に、一寸大変な事件が2度あった。 最初は、まだ雪が山に残る頃だ。 当時は、雪も相当ふり一寸したスキーが出来る程だった。 だから、雪で家から道路に出られなくて、学校を休む事もあった。 そんな時期に、弟子達と道場の横の20m程の崖を…

車で崖から落ちた事・一輝

僕が小学1年か2年か、の時のこと。 僕は当時、和歌山の山奥に住んでいました。 この間埼玉の嵐山町でコンサートを行いましたが、あんなの大都会です。 どちらかというと、秩父の奥地かな。 とにかく山しかありません。 もちろん信号なんて無し、コンビニ無し…

息子の生まれた日・晃

息子が生まれた日は、東京でドラムを叩いていた。 大阪の劇団が、東京へ進出する為に重要な公演だったからだ。 東京公演 当時は、一つ事業を失敗させた時で、1,000万円程の借金を背負っていた。 でも、この公演を成功させたい思いが勝っていた。 バスを連ね…

僕は父が嫌いでした。その2 一輝

自衛隊に入っても家には帰りませんでした。 帰りたくないから。 あまり連絡もしてなかった気がします。 そんなある日、僕は理不尽な上司と殴り合いの喧嘩をしたんです。 その部署に行った時から気になってた人で、言うばっかりで何もしない人でした。 しかも…

僕は父が嫌いだった。 一輝

物心ついた時から社会人になるまで、父が嫌いでした。 でも、暴力されたとかではありません。 怖かった。だから嫌い。 それだけです。 僕が小さい頃は祖母の家で育った記憶があり、しょっちゅう母が来てくれて、たまーに父が来た、という感じでした。 そんな…

来年父と 一輝

来年、私の父がドラムソロコンサートをします。前回が還暦の時で、今から10年前。東京と大阪の二ヶ所で行い、両方とも満席!そして演奏も凄かった。60歳とは思えない気迫に、袖で見ていた僕は圧倒され、終わってからしばらく何も言えない状態(笑) あれから…