息子が生まれた日は、東京でドラムを叩いていた。
大阪の劇団が、東京へ進出する為に重要な公演だったからだ。
当時は、一つ事業を失敗させた時で、1,000万円程の借金を背負っていた。
でも、この公演を成功させたい思いが勝っていた。
バスを連ねて東京へ向かった。
公演は拍手が鳴り止まない程の大成功だった。
私達の演奏も、舞台が終わっても止めなかった。
観客は帰るに帰られず、客席で私達の音を聞いていた。
全員が熱く熱く、そして季節も初夏。
ここでは色々なエピソードがあったが、完全な二日酔いの酔っ払い状態だったので、記憶が断片的にしか無い。
バスに乗ると酔っ払っているので、車酔いする恐れがあり、私だけ新幹線で帰った。
これが不思議なのだ。
お金は持っていなかった筈だから、誰かがカンパしてくれたのかもしれない。
とにかく、大阪に帰った。
その足で、妻の入院する病院へ向かった。
看護師さんが「元気な男の子ですよ」と言ってくれた、、、、と思う。
息子の名前は、散々考えた。
姓名判断の本を買い、あれだこれだと役所に届けギリギリまで考えた。
私の親や妻の親が、候補を持ってくる。
大阪では、チョット抜きん出ている奴を「こいつ、いってるやん」と言う。
それがええなぁ。
何でも、どんなことでも良いから「いってる奴」になって欲しい。
そんな願いと、「何か一つは輝かせろ」と被せて一輝と名付けた。
日野一輝の誕生である。