武道家でドラマーの親、息子は和太鼓奏者。 親は息子がその道へ行くとは思っていなかった。そんなすれ違いは当たり前

涙を堪えるのに必死になった  晃

3年前、セントジェームスのお別れコンサートに来てくれた、パン職人とパティシェのご夫婦が、今回の”古希”コンサートを推してくれている。

 

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我が師である「武道家 日野晃」先生のもしかしたら二度と見られない、【日野晃”古希”ドラムソロ1時間ぶっ叩きコンサートReal'71 vs日野一輝】

武道家であり、ミュージシャンであり、哲学者でもある。

本当に世界でも類を見ない関係性の達人「日野晃」の、本気の演奏を是非ご体感ください!!

多分終わった後は何も言えません。

身体が、心が震えて、今まで知らなかった自分の感情に驚かされるはずです。

3年前開催された日野先生、一輝さんの競演【響乱ライブ】で初めて生演奏を体験し圧倒されてしまった!!

涙が出そうになったのを堪えるので必死だった。

身体に響く、心に響くとはこのことなのかと、今でも思い出すと興奮が蘇ってくる。

更に深化している父親「日野晃」先生と、エネルギー全開の息子「日野一輝」の一騎打ちが見られるなんて、本当に最後かもしれない!!

どちらが飲み込むのか、どちらが変化・深化を起こすのか!!

今回の大阪公演、東京公演共に同じになることはないはず。

ワクワクが止まらない。
人生死ぬまで本気で生きなきゃ勿体ないと思わせるコンサートに必ず足を運んでください!私も子供の親です!親も健在です!どっちの立場の時でも本気で向き合いたい!この文章を書きながら、そう感じました。公演まであと少し!!ワクワクが止まりません!!

 

 

子育てではなく、大人になるから 晃

 

その意味では、「子育て」だとは考えていないのだ。

それよりも「人暗記や速読など、色々息子には試していった。

 

そこには「どうすれば、人と交わる能力を育てる事が出来るのか」ということと、社会で生きていく為には、どんな能力が育っているのが一番なのか、という二つの柱があったからだ。育て」「社会で生きる」がメインだ。

 

家庭環境としては、その意味では色々な大人が出入りする、というのも悪くない。

ただ、大人の会話には、絶対に入れさせなかった。

それは、私の一番嫌いな「こまっしゃくれたガキ」になるからだ。

子供らしい子供のまま、そこを大事にした。

 

人が育っていくのには時期がある。

その時期でないと養えないこと、あるいは感じないことがある。

それは、身体なのか脳なのか、あるいは、もっと根源的な本能なのかは知らないが、そこに素直でなければいけないと思っていたからだ。

 

息子はいじめられていた 晃

「いじめ」という言葉は何時頃から使われているのだろうか。

もちろん、私が子供の頃の昭和30年代にも「弱い者いじめをしたら駄目だ」と親からも学校でも指導されてきた。

この場合の「いじめ」と、現在使われている「いじめ」はどうも違うような気がする。

 

息子も、小学1年生から中学3年生までいじめられていた。

これは、クラス全体、学年全体からのいじめだから、少しケースが違うだろうと思う。

 

その原因は、私達が他所者だからだ。

大阪から辺ぴな山村に引っ越して来たから、大人達は私たちを村八分にしていた。

その大人達が噂話をするから、そのトバッチリで息子がいじめられていたのだ。

 

どの程度なのかは、ハッキリとは分からないが、ランドセルを山の中に放り投げられたり、恐喝のようなこともあった。

 

もちろん、そんな事は私はいじめだとも何とも思っていない。

息子にすれば、学校もうっとおしいだろうが、家の方がもっとうっとおしいから、余り感じていなかったのではないかと思っていた。

 

成人してから、ある時、小学生の時の思い出は?と聞いたことがある。

その時、小学校や中学校での記憶は真っ白だと言っていた。

 

だから、本当にうっとおしいものだったのだろうと思う。

 

人は、それを心の傷というのかもしれないが。

速読術 一輝

暗記マシーンと同時期に"速読"というのをやらされました。

 

A5を横にした紙に、ビッシリ○印が書かれています。

 

それを右上から縦に下まで追って、次はその左の行を上から下まで。

 

これをどれだけ速く目で追うか、というやつでした。

 

そしてもう一つ、今度は一つ一つの○印をしっかり見てから次の○印へ…という、スピード的にはゆっくりバージョンもやらされました。

 

これは面白いとかどーとかありませんでしたが(笑)

 

しかし、高校の時や太鼓で楽譜を配られた時とかに、ババっと読み取れる様になったので、このお陰かなとも思ってます。

特に、高校の吹奏楽部で3年の時に部長を任されたのですが、この時に各パートの譜面を合わせた"総譜"というのがあり、それを見て指揮を振るときに全パートを大体読み取れる事が出来たので、今思うと速読術のおかげかもしれません。(あくまでも読み取れた、だけです。ちゃんと指導出来たかは別)

 

 

この稽古によって、

国語の文を読むのが速くなりました。

本を読むのも速くなりました。

しかし、

言葉の読解力が弱いので、人の5倍は読み返さないと理解出来ないというオチ(笑)

 

現在進行形です…。

 

パンの耳  晃

私はパンが好きだ。

若い頃はフルーツサンドなどを好んでいた。

今はカツサンドだ。

 

先日、神田道場での稽古が昼からあったので、近所の肉屋さんでカツサンドを買った。

店の人から「パンの耳は食べませんか?」と聞かれた。

 

「えっ何で?俺がパンの耳好きな事を知っているの?」

と有り得ない事を想像した。

 

一輝が小学1年生の頃は、熊野に来たのは良いが、道場を建てる段取りだけで、相当時間を食った。

予期せぬことばかり起こるからだ。

それは後日書くとして、パンの耳だ。

 

道場を建てる為にはお金がいる。

もちろん、建てるのは自分でやったとしても、材料のお金はいる。

それで無くても、借金を背負ったままでの生活だから、生活は困窮していた。

で、何を食料としたか。

パンの耳だ。

 

田辺市街まで行き、パン屋さんを探して「パンの耳を分けてください」と頼みに回るのだ。

食パン一本分が入る袋一杯に詰まった耳をくれるところもあれば、ハッキリ覚えていないがパン粉などを入れる大きな袋に一杯くれる店もあった。

もちろん、無料だ。

「お金は大切なもの」という事を教える為に、一輝の手を繋ぎパン屋さんを回る事もした。

 

食事は、耳のフライとか、妻が工夫をして殆ど毎食がパンの耳だった時期もあった。

いくらパン好きでも、パンの耳が毎食では飽いてくるが、お金がないから仕方がない。

 

今では、楽しい?思い出だ。

暗記マシーンは 晃

山の生活は何もない。

山もあるし川もあるだろう、と思われるかもしれないが、植林した山など山ではない。

杉や檜を植えた畑だ。

川までは8㎞以上あるので、当然行けない。

そんな中で、息子に何を提供できるかを日々考える。

 

この暗記マシーンもその一つだ。

一瞬で見分ける能力は、生きて行く上でもしかしたら一番重要かもしれない。

今、何が起こったのか、ではどうするか、それを一瞬で考えられるからだ。

そこを鍛えてやろうと、息子にゲームを提案した。

それが暗記マシーンだ。

内弟子の一人が、ある時間になるとそれで息子と遊んでくれていたのだ。

 

高校の時、息子はマーチングバンドに入った。

きっと、そこでの譜面の覚えも早かっただろうと思う。

3年生の時、息子は部長になっていた。

何もかも出来なかったが… 一輝

算数もダメ、国語もダメ、多分理科も社会もダメだった気がしますが、ちょっと覚えてません。

 

家では、相変わらず公文やそろばん、夜は国語の時間でしたが、果たしてどうだったのか…(笑)

 

 

しかし、5年生くらいに父が楽しい遊びを作ってくれました。

 

それは「暗記術!」

 

短冊ほどの大きさに、例えば1〜10までの数字を適当に書き、それを木の枠に入れて蓋をします。

 

書いた本人が、バッ!と蓋を開けて約5秒ほどしたら蓋をします。

書いた本人以外の人は、その間に覚えて、全く同じように同じ紙に書きます。

文字の配置、大きさ、形、全てです。

 

これが僕は楽しかったんです。

最初は数字でしたが、ひらがなやカタカナ、漢字まで入れたりします。

数も5〜6個から10個まで。

大きさもランダムにします。

 

最初は全然ダメでしたが、何となく覚え方というかコツを掴み、時には全問正解の時も!

だから、夜のこの時間は僕にとって一番楽しい時間になってました。

 

僕の覚え方は、完全コピーです。

一つ一つの文字を認識→確認していたら、それを覚えて確かめている間に蓋が閉まります。

最初は分からないからこのやり方でやりましたが、これだとせいぜい3〜4個でした。

で、やり方を変えたんです。

完全コピーは、ボーッと全体を見ます。

ボーッとしながら、その景色を目の中に写します。

蓋が閉じると、まだ目の前にそれが残ってて、それを書くだけ。

だから、それが何の文字かは書くまで自分では分かってません。

だからしばらくは、フニャフニャの文字だったり、なんの字か分からない字を書いたりしてました(笑)

しかし回数を重ねるごとに、何となく見えるようになってきて、数ヶ月後にはすべての文字をコピーしながら、蓋が開いているのに目を閉じて確認し、再び目を開けて再コピー出来るほど余裕が出るまでになりました。

 

 

これが活かされたと感じたのは、それから10数年後。

僕が太鼓をやり始めた時や、一気で色々曲をやってる時、教室で教えてる時に「あー多分あの時のおかげかな」と思う事が多々あるんです。

 

例えば楽譜。

太鼓演奏では完全暗譜なのですが、これが一番早かった。誰よりも早かったんです。

覚えてしまえば、あとは完成度を上げるだけ。

みんなが四苦八苦して覚えてるあいだに、僕は次の曲に進んだりしてました。

しかも、ただ覚えるだけではありません。

ノートの端っこに走り書きしたものも全て記憶してます。どこに書いているのかもです。

だから、「あの時言うたやん!ノートの右の上見てみ?」と指示する事も。

 

あとは武道。

父から習っていたのですが、型があったり組み手があったりするのですが、これも覚えるのが早かった。

動きを父がやります。

同じくボーッと全体を見ます。細かいところはどーでも良くて、何の動きなのか、どう動いてるのかだけコピーします。

で、実践。

何となく合ってるんです(笑)

もちろん合ってると出来るのは別ですが、たまに一度で全部覚えたりしたときもあったので、後から思うと「あの時の暗記術かな」と。

 

41歳になっても衰えてません。むしろ20代の頃より速い。

よく「歳やから覚えるのが遅いわー」とか「若い子には負けるわー」とか聞きますが、それは歳のせいではなく、使っていないから衰えてるだけ。

 

 

次回は、この暗記術と同時期にやらされた「速読術」について書きます。