息子を連れて熊野の山の中の小さな村に移り住んだ。
その目的は、一つには私自身の武道の稽古場を作る為、そして一つに、息子を山の中の小さな村で育てるのが、いろいろな意味で良いと判断したからだ。
しかし、それはあくまでも私の理想としての山の中の生活であって、現実はそんなに甘くはなかった。
息子は方言でつまずいた。
先生が方言で話すから、一輝には外国の言葉に聞こえていたのだろうと思う。
それは、私達大人にも全く分からない言葉並ぶ事があったからだ。
そんな中での生活は、相当堪えたことだろうと思う。
一輝の小学1年生の頃からの子守唄は、ジョン・コルトレーンやマイルス・デェイビスだ。
しかも枕元で流れている。
時には、日本の戦後ジャズ創世記を支えたベーシスト、吉沢元春さんとのセッションが夜中まで続くことがあった。
吉沢さんとは、私が現役時代に何度が演奏をしたことがあり、その縁でしばらく熊野で生活を共にしていたからだ。
そんな音楽が溢れた環境で育っていったのだ。