武道家でドラマーの親、息子は和太鼓奏者。 親は息子がその道へ行くとは思っていなかった。そんなすれ違いは当たり前

僕は父が嫌いでした。その2 一輝

自衛隊に入っても家には帰りませんでした。

 
帰りたくないから。
 
あまり連絡もしてなかった気がします。
 
そんなある日、僕は理不尽な上司と殴り合いの喧嘩をしたんです。
その部署に行った時から気になってた人で、言うばっかりで何もしない人でした。
しかも偉そうに。
 
「なんやねんあいつ」
 
同期と話したのを覚えてます。
 
で、ある日堪忍袋のをが切れて爆発!
 
自衛隊は階級社会。
まあ自衛隊に限らず世間でも下の者が下の者が上に刃向かうなんて、あまり無いんじゃないでしょうか?
 
でも、僕はその人の理不尽が許せず、呼び出して喧嘩へ。
 
僕よりもガタイが大きい人なので、力では勝てませんが、まあ色々使ってボコボコに。
もちろん、僕もボコボコにされました(笑)
 
そのあと、これは男の特権ですかね。
なんか知りませんが仲良くなったんです(笑)
 
その時、父に電話しました。
 
父は昔よく喧嘩をしてたみたいでその話を沢山聞いていたんです。
で、この喧嘩は自分的に面白いネタだったのと、僕は元気でやってるってのを伝えたくて電話したんです。
 
そしたら父は高笑いして
「おー、ええやん!」
って。
 
父が経験談を語ってくれました。
似たような境遇があった事を知り、なんかこの瞬間、なにか分からないけど、ふと父に対しての距離が少し縮んだ気がしたんです。
 
それからでしょうか。
 
社会人になって沢山壁にぶち当たり、その都度アドバイスを貰う為に父に電話している自分がいました。
 
父というより人生の先輩の声を聞く、という感じでした。
 
そして数年が過ぎ、
自衛隊を辞めて太鼓で食べて行こうと思う、という事を伝えると
 
「世の中そんな甘くないけど、やったらええねん」
 
と、アッサリ(笑)
 
もちろん反対される訳が無いと思っていたのですが、「やったらええねん」という言葉を聞きたかったんだと思います。
 
そんな時にふと思ったんです。
 
父は本当に怖かったのか?
 
怖いと感じたのは事実ですが、それは例えば大きな声でビックリしたりしただけの事で、本当に恐怖を感じていないのでは?と。
 
今思うと、怖いという事を勝手に膨らませて、怖い父という像を作り上げていただけなのかも。
 
もちろん当時は分かりませんが、
でも、自分が年齢を重ねるにつれ、父=嫌い、という図式が壊れ始め、1人の偉大な人生の先輩という目線で見る様になってきたんです。
 
それから、父の話を聞きたくなったんです。
 
「お父さんが24歳の時何してた?」
「お父さんが25歳の時何してた?」
 
自分の誕生日が来る度に聞いてました。
 
その度に、あーまだまだやなと痛感(笑)
 
 
その他、沢山話をしてもらいましたが、最初は何を言っているのか理解出来ませんでした。
言葉は分かります。
でも難しすぎた。
 
しかし、沢山経験したせいか、最近ようやく話が少し出来るようになってきたという実感が湧いてきました。
 
でも、もっともっとやらんと勝てん!

 

日野一輝